スピリチュアリズムと宗教

  私が長年、どうしても理解できないことがありました。私が出会ったスピリチュアリズム(霊的真理)は、時期がきた方でないと出会う(気づく)ことはないと言われています。しかし、どう考えても私より霊的に素晴らしい人々はたくさんいらっしゃるのに、どうしてそんな素晴らしい方々ではなく、未熟な自分が先に霊的真理に出会わせて頂いたのか、ということです。
 霊的に素晴らしい方々というのは、宗教に携わっている方が多いので、そのへんとも関係しているようです。先月の読書会のテーマでも学んだ宗教について、私の体験も踏まえながら書いてみようと思います。

 私の実家はキリスト教を熱心に信仰しているクリスチャンホームでしたが、残念なことに、他人のために奉仕すること(利他愛の実践)や禁欲的な生活(霊主肉従)が、十分にできているとはいえない、むしろ今思えば歪んだ形のものでした。
 私自身も子どもの頃から我が強く、未だに子ども相手に張り合うこともあり、周囲の状況を見ずに、自己中心的な行動をとってしまって、後ではっと我に返る(守護霊に教えて頂いております)ことがあるくらい、霊的にはまだまだ未熟なスピリチュアリストです。
 一方、私の知っている宗教に携わっている一部の方々は、利他愛の実践をしっかり実行されており、私が困っているときに、親切に手を差し伸べて下さり、陰で祈って下さります。

 しかし、彼ら熱心な信者の方々と私に、決定的に大きな違いが一つありました。私は宗教に対し、熱心に取り組んだ時期もありつつ、いつもどこかで懐疑心が払拭できなかったのです。特に、クリスチャンでありながら、身内に対して自己中心的で不誠実に見受けられる親の姿をかい間見て、何かおかしい!と心の奥で感じてきました。キリスト教と距離をとってからは、ブログの初めに書いたような霊的体験をいくつか通して、霊が実在することや、神も存在するということを、確信していきました。

 片親で、身内が発病、自分自身も定職が定まらない、そんな不遇な状況を見て、ご先祖様に問題があるのでは、と友人が私を新興宗教の寺へ連れて行ってくれ、そこに数年通いました。その友人も、私よりはるかに霊的に高い人です。
 しかし、教祖は私たちと同じ人間であるのに、なぜみんな無条件に崇めているのか、そこがどうしても理解できず、友人に尋ねると、私のその感覚がわからない、大丈夫か?といった反応がかえってきました。そうです。熱心な信者の方々は、それを絶対的に正しいと信じて疑わないのです。そして、いいことがあると全て教祖様のおかげ、人生の指針で迷ったときは、霊能者にお尋ねして決めるという、まるで「自分自身」が無くなってしまうような感覚に違和感を覚え、その宗教から離れていき、同時に友人とも距離をとることになりました。以前、キリスト教から離れていった知人が、同じようなことを言っていたその意味が、そのとき私にも理解できました。

 
 本物の霊的知識や実践の方法を教えるのが、本来の宗教の役目であるはずですが、非常に残念ながら、地球上の宗教は、いずれの宗教も霊的に無知で間違った教えを説き、教義としています。そのため、折角熱心に信仰している信者の方々も、霊的に向上していこうとされているのに、いつの間にか成長を妨げられ、組織エゴの拡大に利用されています。
 それでも、何の指針も持たないよりは、利他愛の実践を意識して行われるなど、一部霊的に素晴らしい方々もいらっしゃるため、その善意が間違った方向に用いられるのが、なおさら残念でなりません。

 では、スピリチュアリズムでいうところの、真の宗教(=霊界の宗教)とはどんなものでしょうか。
私が2月の読書会で学んだことを整理して、記載してみました。驚くほどシンプルです。

・全ての人間(霊)が一つの共通する宗教を持つ(一神教);宗派もなく多神教もない
・信仰対象は「神(大霊)」と神がこしらえた「摂理」
・その「摂理」に沿った日常生活での実践(利他的行為・霊主肉従の努力・苦しみの甘受)が宗教
・宗教組織・宗教形式(教祖・教義・儀式・布教活動・宗教的施設)など一切不要
・自らの実践を通した努力によって、自分自身を救う(自力救済的生き方)
・個々人の霊的成長と、霊的同胞世界の確立を目的とした生き方

 
 はじめてこれを目にする方がいらっしゃれば、私たちが知っている地上の宗教とのあまりの違いにびっくりするかと思います。キリストや仏、教祖様たちが私たちを清め救ってくださるのではありません。自分自身で救うしかないのです。地道な日常生活での努力(霊界からの支援は受けることはできます)が必要なのです。ご先祖の悪行が私たちのカルマとなっているのではなく、自分自身で作った過去世でのカルマを清算する意味もあり、この地上で困難・苦難を乗り越えていくのです。そうやって霊的成長(救い)と幸福(霊的宝)を手に入れることができるのです。

 一見非常に厳しい部分もありますが、霊的な視点から見ることに慣れてくれば、霊的に繋がっている多くの仲間の存在に鼓舞され、霊界のバックアップを感じ取ることが日常的になり、こんなに心強いことはありません。私の周りの方々に時期が来たらいつでも支援できるように、今はただ祈り続けています。

  幼少時代に教え込まれ大切にしてきた信仰を捨て去るのが容易でないことが、私もよく承知しています。しかし、魂が真に自由になるためには、理性が納得しないものは潔く捨て去ることができるようでなくてはなりません。(シルバーバーチの教え 新版・上 132)

 


 

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