たとえ死の陰の谷を歩むとも

 つい最近、身近で不幸がありました。私の周囲はクリスチャンが比較的多く、その人も熱心な信者でした。しかし、精神を病んでから連絡が取れなくなりました。一時期は親しく交わりとても世話になった方でした。お亡くなりになってから霊界に行かれるまでには結構な時間が必要そうですが、どうか一日も早く霊の目が開かれ、無事に霊界へ旅立つことができるようにと祈っています。

  スピリチュアリストにとって死とは、この世の果たすべき課題を終えたときの、最後のご褒美です。その時期が訪れるまで、心待ちにしている出来事です。クリスチャンにとっても、死後は天国行きの切符を保障されたも同然のはずです。

 タイトルに引用した言葉は聖書の中の詩篇23篇の一部です。「死の陰の谷」とは、元来は「暗やみの谷」を意味するそうです。先が読めない闇、出口が見えない状況、だれも助けることのできない孤独の世界、それは死の淵にある状況を意味します。しかしそんな状況にあっても、「私は恐れない」と言い切るところに、それほどまでの神への信仰、信頼を意味しているようです。それほどまでに信頼できる存在がありながら、なぜ彼女は精神を病んでしまったのでしょうか。精神疾患はほぼ憑依によるものですが、その詳細は過去にブログでアップしていますので、関心があられる方はそちらを参考に。

http://10845393.at.webry.info/201407/article_1.html

 キリスト教の基本的な教えは、神(イエス・キリスト)を信じれば天国へ、信じなければ地獄へという、実にシンプルな信者への特権です。しかし考えてみると、どんな極悪人でも死ぬ直前にクリスチャンになれば天国へ行くことができ、キリストを信じていなければ、どんなに正しい心がけをしてきた人でも地獄へ落ちる、ということがまかり通るとすれば、神とはなんと不平等な・・・と思わずにいられません。しかし実際は違います。天国と地獄はありません。それに近いところは存在します。

 死後の世界は、そんな単純な世界ではありません。ずっと複雑で巧妙な世界です。スピリチュアリズムの教えを知った後に、再びキリスト教の教えに触れると、なんと子供だましで幼稚な教えかと、そしてそれを幼少期からずっと信じ続けていた自分に対してあきれてしまいます。
 それはアロマオイルに例えると、はじめに偽物の香りに触れていても気が付かないものですが、本物の香りを知った後に、偽物の香りを再び嗅ぐと、明らかに人工的な香りがしてはっきり区別ができるのです。まさにそれと同じです。

 スピリチュアリズムではどの宗教の信仰を持っているかは、関係ありません。死後の霊界へいくまでのプロセスは、本人の霊的成長の度合や、霊的知識の有無、地上での体験によって千差万別となります。決まった一律のプロセスではないのです。

 しかし分かりやすいように、大半の地上人(例:霊的知識のない善良な市民)が体験するであろう死後の様子について書いてみます。(スピリチュアリズムニューズレター39号参照)
※詳細を知りたい方はスピリチュアリズム普及会のHPで、ニューズレター39号を読むことができます。

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/

死の瞬間(肉体と幽体を切り離す) → 死の眠りから目覚め、様々な変化に混乱(幽体+α) → 調整期間(休息所での眠り) → 死の自覚→他界者の出迎え →(再び調整期間のある人も) → 幽界※の休息所(幽体のみとなる) → 幽界の審判 → 幽界での本格的な生活 →(その人に相応しい階層の)霊界へ入る

※幽界とは
最初の過渡的な死後の世界、霊界の最下層で、地上に大変よく似た場所です。そこで地上的な意識や地上臭を拭い去ります。ここで霊界に入るための準備を整えるのです。いきなり霊界に入るのは、地上との落差がありすぎショックが大きすぎるためです。

幽界の審判とは
 キリスト教でいう神の審判はありません。実際は幽界の休息所で、まどろむような半醒半睡の状態で、地上時代の自分の人生(忘れていたことも含め)を、全てが洗いざらい映画のスクリーンのように示されます。指導霊のインスピレーションの影響も受けながら、自分で裁判し自らを裁くことになります。 

*判決の基準*
「地上で何を行ったのか、世の中のためにどれほど自分を役立てたのか」

 例えば自己中心的な、欲にまみれた生活を送っていたものにとっては、非常に強い屈辱と自責の念にかられるときが訪れます。これは、自然の法則であり、神は平等です。自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなくてはならないのです。肩代わりしてくれる人はいません。これが、自ら犯した節理に反する行為の結果なのです。

 一方で、地上人生を物質欲や自己中心のエゴに巻き込まれず、無欲に生き、他者へ貢献してきた人は、自分の地上人生がいかに価値あるものだったのかを実感し、感謝の思いに打たれるようになります。
 また、そのような霊的に向上する歩みをしてきた方は、歩んだ分だけ高い階層の素晴らしい霊界へ入ることになります。



死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第2の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。
(シルバーバーチの霊訓1-150)

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