なぜ人は仕事をするのか

 スピリチュアリズムに出会う前、私にとって仕事とは、生活するために必要な資金源を得るものというのが、一番メインの働く理由でした。

 私がスピリチュアリズムに出会ったころ、公的機関の非正規職員だった私は、同じ仕事を続けるために受けなおし(一旦自分の職種が一般公募に出され、再度選考にかけられるというもの)という出来事がありました。同じ受けなおしをする仲間の中には、不採用になり職場から去る方もいて、まさに職場は異様な空気が漂っていたものです。当時、スピリチュアリズムに出会っていたのですが、まだ地上的視点のほうが私には強く、周囲の皆と同じで、職を失うのではないかという恐怖や不安と闘いながら、受けなおしの準備をしていました。
 正規職員になるための試験を受けないかというお誘いも頂いたのですが、私の(障害)特性上、一部に得意分野がありつつも、全体のバランスが悪く、いわゆる何でもそつなくこなせるタイプではありません。部署移動となって不得意分野に移動すると、問題児になるのは確実に目に見えていましたので、丁寧にお断りいたしました。つまり、好んで非正規のポジションに留まったのです。

 今現在、スピリチュアリストとしては成長はなかなかみられないものの、地上的視点だけでなく、霊的視点からも物事を捉えることが、徐々にではありますができるようになってきました。そして8年前と同じような状況に今現在、立っています。
 当時と比べて何が違うかというと、まず、今現在の仕事は、私が主体的に探してきたわけではなく、霊界の導きによって就いた仕事だということです。そして、継続になるか否かも、私は霊界の導きに従おうという気持ちだったので、もちろん自分にできる努力はしましたが、結果については、あまり頓着がありません。ここにもしご縁がなければ、きっともっと相応しい仕事(利他愛の実践の場)が用意されているはずだと思うのです。こんなに心構えが変わってしまうとは、私自身思っていなかったので、自分でも驚いています。

 面白いと思うのは、地上的視点と霊的視点が、真逆と言えるほどの差があることです。
霊界での仕事は、完全に他人への奉仕のためだけになされているそうです。しかし、私たちのいる地上では、生活していくためにお金を稼ぐ必要があります。純粋に、奉仕のためだけにできる仕事とは、ほど遠いものです。

 しかし、霊的視野から地上の仕事を見ると、一見苦しいこと、大変なことが多い仕事ですが、その出来事に正しく対処していくことで、霊的な成長を促してくれる、とてもいいものになるのです。職場での人間関係(従業員だけでなく、お客さん、患者さんなども含め)は、利他愛の実践(他人のために尽くす)のよい訓練となります。私も現在、今までの常識を覆されるような出会いがある中、霊界に導かれただけあり、なんとすばらしい訓練の場なのだろうと思いながら、地道に努力を続けているところです。
 とはいえ物質界なので、どうしても必要最低限の収入は必要です。心身を維持していかなければなりませんので。そのため質素な衣食住を保ち、それ以上のお金が手に入ったら、それは困っている人々に分け与えるため、神が一時的に自分に預けてくれたものとして考えます。
 つまり、霊的真理を知っている者は、自分と家族は質素な生活を心がけるのです。ただし、私は里親をしています。普段、質素な生活は送りつつも、子どもの年齢に合った豊かな心を育むために必要な経験・体験はそれなりにさせてあげる義務があります。そのため、必要に応じて子供へ使うことはあります。そのとき見ている視点は金額というよりは、霊的成長によいものかどうか、という視点です。

 以上のような流れで考えると、金持ちは金銭欲・物欲の試練が多くて可愛そうですね。しかしもしそのような方が、困っている人にお金を援助するために自分は仕事をしている、と思い実行できたとしたら、その金持ちは、なんとすばらしい霊的成長を遂げることでしょうか。いつか、そのような方にお目にかかれることを願っています・・・。

その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。(シルバーバーチの霊訓(4)25)

 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント