道具意識について

 実はこの「道具意識」という言葉は、あまり好きではありません。。。この言葉を聞くと、キリスト教や他の新興宗教の熱心な信者を思い出します。まるで自分の意志はなく、奴隷のように自己滅私してひたすら奉仕する・・・そんな印象がありました。 それをスピリチュアリズムでも求められているのかと思うと、違和感を覚えるのでした。

 この「道具意識」という言葉(日本語訳)について、同じように感じていらっしゃった方の、かつてのブログを発見しました。波川海さん、3名で2005年ごろを中心にスピリチュアリズムについて私見を述べたブログを書かれています。「心の道場」への批判、元メンバーらの一連の騒動など、スピリチュアリズムも色々とあったのだなぁ・・・と過去ログや関連ブログを見ながら思いました。私たちはただ盲信するのではなく、神に与えられた理性で考える自由があるので、様々な意見があって当然なのだと思います。
 
 それはさておき、シルバーバーチが伝えたかったことを、「道具意識」と呼ばれる個所から見たいと思います。


 私はこの地上へ私を派遣した高級霊団のマウスピース(代弁者の意)にすぎず、私という一個の存在としての栄誉とか褒賞を求める気持ちはみじんもありません。誇大に宣伝したり、地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりするような趣味も持ち合わせていません。私はただ、これもまで申し上げたような霊的真理、長いあいだ忘れさられていた真理に改めて「神の真理」のシールを貼って、こうして地上界へお届けするための道具であることに喜びを感じているのです。(シルバーバーチの教え(上)P27 7)


 シルバーバーチの言葉から分かる「道具意識」とは
・口先だけではない、本当の謙虚さが備わっている(自分の手柄・能力を自慢せず、地位や名誉を求めない)
・「神の道具」に徹することに喜びを感じている
このような素晴らしい人格者となれるよう、霊界の良き道具となれるよう、日々歩んでいきたいところです。
 それによって、真の謙虚さを身に着け、醜い感情(嫉妬、競争心、利己的な心など)から解放され、霊界との絆が深まり、安心して霊的成長への道を歩んでいくことができるのです。

 
 「宮沢 賢治の詩」 がふと浮かんできました。ここに出てくる言葉は、決して容易にできることではありませんが、まずは目指してゆきたいと思っています。

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

出典
「〔雨ニモマケズ〕」(『〔補遺詩篇 II〕』)

 

"道具意識について" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント