犠牲精神とは

霊的成長のための実践は、物質世界の多くの誘惑がある中で継続するのはなかなか難しいことです。それを立て直し、日々霊的成長に向けての努力をするための武器として、
「道具意識」
「犠牲精神」
「霊的視野」
「瞑想・祈り」
があります。
 これらの具体的実践について、前回は「道具意識」を書きました。今回は、「犠牲精神」ついて記載します。

  この「犠牲精神」、前回の道具意識に引き続き、あまり用語としては好きではありません。シルバーバーチの言葉の中で示されるときには、特に拒否反応は起こらないのですが、日本語の問題なのか、翻訳の問題なのか、言語のイメージなのか。「犠牲」という言葉のイメージかもしれません。

例えば「戦争による犠牲者」という言葉の「犠牲」は、本人の意思に反して戦争に巻き込まれたかわいそうな方々のことを指します。しかし、シルバーバーチの生きざまである「犠牲精神」は、自分の意志で選択した行為です。
人類の幸福のため、自分自身を喜んで、進んで犠牲にする姿勢のことです。シルバーバーチは、暗闇の中にいる地上人である私たちのために、素晴らしく美しい霊界から、暗くて居心地の悪い地上界に来てくださり、霊的真理を解いてくださいました。それは、私たちが見習うべき姿でありますが、簡単にできることではありません。


 私もまだまだ未熟者なので、全人類のためということはできず、身近な家族の状況のために、進んで犠牲になっている程度でした。具体的には、家族の状況が色々とあって、仕事を続けたいと思いながら、家族を支えるために家庭に入ったことです。自分のアイデンティティが保てるかな?と心配になりながらも、守護霊、背後霊に見守っていただき、もう働かなくても大丈夫な気持ちにかわっていきました。
 ママ友や子どもの習い事、PTA活動、ボランティアなどで、様々な人間関係が少しづつ広がっていきました。

 あるときママ友の一人が、私がある分野に詳しいことを知って、「今、仕事していないの?是非、この地域でその知識を生かして貢献して!」と言われました。この彼女の言葉が印象に残っていました。今までの知識と経験は、やはり社会に貢献させないと、このまま忘れていってしまうかな?とも思いました。

 まもなく、夫が私に仕事を進めてきました。家庭の状況も色々とあって、夫も私に働いて欲しいと思ったようです。求人も夫がこんなのがあったよ、と言って持ってきました。そして、地域に貢献するような仕事が与えられました。今まで私は、仕事で貢献したいということを口では言っていても、本当は収入が必要であったり、私自身のアイデンティティが欲しい、というよいうな、利己的な理由が心のどこかにあって、仕事を探していました。

 そのころ、本当はこういう仕事があったらいいのに・・・と思っていた仕事が、今回働くことになった仕事です。
今回は、仕事が向こうからやってきました。
 
 
 この経験から、はじめは身近なところから「犠牲精神」で取り組んだ結果、より広い地域で「犠牲精神」を発揮できる機会が与えられたのではないかと思っています。1年前くらいに祈っていたころは、まだ時期ではなかったから与えられなかったのかもしれません。

 スピリチュアリズム普及会の方々が第一公式サイトで、

 「利他主義(利他愛)」を徹底すると、必然的に「犠牲精神」に至るようになります。利他愛と犠牲精神は“表裏一体”の関係にあるのです。犠牲精神は地上人の心に本物の愛(利他愛)を根付かせ、それを最大限にまで拡大させます。地上人の愛を徹底して純化し、神への信仰心と全人類への奉仕の情熱・信念を高めます。

霊的に見たとき「犠牲精神」を貫くことは、実に多くの霊的恩恵をもたらす賢明な生き方・賢者の道と言えます。

とあります。


 この意味が、恥ずかしながら今頃やっと分かってきました。


自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません。
(地上人類への最高の福音・29)-シルバーバーチの霊訓-



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